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2012.01.24 Tuesday

父は船乗り・・そして思い出横丁

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     2012年1月24日

    父は船乗り・・そして思い出横丁

    〜ある絵画との不思議なご縁へ〜


    私の父は昔、船に乗っていました


    私の父は昭和3年生まれ。
    もう5年前に78歳で亡くなりましたが

    昔、鳥羽の商船学校を経て、船乗り・・・
    というか、海上保安庁におりました。

    終戦を迎えた時、父は17歳
    もともと商船学校に入ったのは、
    第二次世界大戦がまだまだ続くと思い、
    海軍に入る決心をしたためとか。

    しかし、戦争は終わり・・・。

    それでも
    父は船が好きでした。

    当時、日本から外国に渡ることが難儀だった昭和30年ころ
    外国航路に乗組員としてハワイに行ったりもしていたそうです。

    そういえば・・・
    家にカラカラに乾いた「ヤシの実」がひとつありましたっけ。

    海上保安大学校 巡視船「こじま」初代クルーの中に
    父の若き日の姿を見つけることができました。

    (下のURLをクリックすると、そのサイトにとべます)

    http://www.jcga.ac.jp/shisetu/kojima/1_02.html

    同じ写真をこちらにも掲載・・・

    巡視船こじま初代クルー

    巡視船こじま初代クルー中 

     巡視船こじま初代のクルー。

     後列
     画面向かって左から4番目が私の父

     そして父の隣…
     左から3番目が私の母の兄
     つまり私の伯父さんです
     (伯父は、定年まで海上保安庁を勤め上げ
     2010年秋の褒章で瑞宝単光章というご褒美をいただきました)


     
    父は親友の妹と結婚したのでした・・・。


    私の4歳上の兄が生まれたばかりのころ
    父母は海上保安庁青森(第二管区)の官舎にいましたが

    父は半ば強制的に船を降ろされ、転職させられることになったそうです。

    私の父は祖父の店の後を継ぐことになり
    不本意ながら船を降りたそうです。

    父は29歳
    母はまだ23歳。

    新宿の思い出横丁

    戦後の闇市バラックから始まった「米田屋」。
    安いオカズを出すご飯屋さん。
    今ではその一角は「思い出横丁」と呼ばれて
    賑わっています。

    もともと父の祖父が始めたらしいその店を
    継いで守っていたのは・・・
    父の父…つまり私の祖父。
    それを助けていたのが父の兄。

    父の兄は、父にとっては父親違いの兄。

    なんだか難しいですね・・・
    系図。

    ところがその父の兄が若くして急死・・・
    かわりに
    5人兄弟の真ん中の
    私の父に白羽の矢が立ってしまったのでした。

    「船などという足が地に着かない職業なんてやめてしまえ!」
    と祖父から言われ、父は止むなく
    大好きな船を降りたと聞いています。


    それからというもの
    父は過酷な職業転向に辛酸をなめたようでした。

    大好きな船を降り、国家公務員の安定した職を捨て・・・

    一転、しがない「めし屋」。


    「新宿・思い出横丁」

    思い出横丁写真今でこそ、昭和のレトロがウけて
    かえって好印象、復興した一体ですが、当時は・・・。

    ヤクザさんとか、もうぐちゃぐちゃで、
    治安もけっして良くはなく

    一本気で曲がったことの嫌いな
    バカ正直でぶきっちょな父は
    大変苦労したようです。

    昼から仕入れ仕込み。
    夕方から深夜までの営業
    片づけ。

    夜な夜な酔いつぶれんほどに飲み
    帰宅は明け方3時4時。

    きっと
    「こんなはずでは・・・」

    と、
    自ら手放してしまったものの大きさを痛感し
    自分の人生を呪わないよう

    若い時分に忘れようとしたんだな…
    お酒を呑んで。

    と父の心がわかるようになったのは

    ここ最近です。



    もう父はこの世におらず。
    皮肉なものです・・・


    でも、父は米田屋をこよなく愛していました。
    私も、米田屋を誇りに思って育ちました。



    ご飯屋さんをやっているからといって
    料理が上手というわけではなく、
    父は家では全く厨房に立たない人でした。

    お湯すら沸かしたことがなかったような・・・。


    私が小さいころ、父はいつも隣の部屋で「寝ている人」
    でした。


    ある意味、私は父との接触が無く、
    父無し子供のような気持ちでいたことを思い出します。


    店は新宿駅に隣接する思い出横丁

    住まいは淀橋・・・今の都庁が立っているあたり。
    十二荘の近く、今は無き淀橋浄水場からほど近い
    それはそれは田舎な新宿。

    淀橋浄水場 ↓ 

    新宿駅のほど近く、浄水場があったのです。
    この浄水場の手前が私の生家のあった淀橋。
    向かって右側が現在実家のある西新宿(当時・柏木)
    淀橋浄水場

    今では高層ビル群が林立する一体ですが
    そこはまるで都会とは縁のない
    田舎も田舎、原っぱだらけの土地。

    1964年4月玲子2歳のコピー2歳の私→
    この場所は現在、都庁が立っているあたりです


    私は新宿生まれの新宿育ち。
    「淀橋(よどばし)」という町名のまるで「村」のような田舎で生まれ育ちました。

    淀橋浄水場跡地の土手に
    すすきやヤゴを採りに行ったり。


    私は生粋の「淀橋」人。

    どれくらい「きっすい」かというと…

    淀橋幼稚園
    淀橋第一小学校
    淀橋中学校

    とすすみました。

    淀橋という地名は
    徳川第三代将軍家光が発した言葉によって
    付いた地名だそうです。

    十二荘池に架かる橋を見て将軍家光は・・・
    「大阪の淀川に架かる橋に似ている」
    的な発言をなされ、それにちなんで

    「淀橋」。

    私が小さいころ

    現在の新宿警察は「淀橋警察」
    現在の新宿税務署は「淀橋税務署」
    現在の新宿消防署は「淀橋消防署」

    という名称でした。

    ちなみに「ヨドバシカメラ」というのも
    地元の「淀橋」の地名をつけたカメラ屋さん。

    思い出横丁前身のバラックで
    米田屋とかと店を並べて商売していたのが
    あんなにデカくなったのだそうです。

    すごいですね・・・。


    私は幼稚園年長さんの時
    淀橋から移転。
    青梅街道と甲州街道を結ぶ道路ができるため、
    立ち退きの憂き目に遭ったのです。

    「柏木」(今の西新宿7〜8丁目)に引っ越しました。

    そして小学3年のとき
    町名変更で、柏木も淀橋も角筈も無くなり、
    「西新宿」という味気ない町名に変わり。

    1975年玲子中2やがて京王プラザホテルが建ち
    住友三角ビルが建ち
    野村ビルが建ち
    次が安田火災ビル
    新宿センタービル


    中学2年の時の集合写真の背景に
    建設途中の「安田火災ビル」が写っています。

    真ん中が野村ビル
    向かって右が三角ビル

    他の高層建造物がなく
    すっきりしていて今となっては妙な感じ。

    淀橋中学校の屋上で撮った2年B組の写真です。

    写真に写っている音楽の長瀬先生とは
    まだ年賀状やり取りを続けています。


    私の家は高層ビル群のすぐ近くなので

    ビルが建った順番は
    自分のことのように覚えています。



    さて、父と母の話に戻ります・・・

    父は40年、米田屋を頑張りました。
    歌舞伎町や市役所前にも支店を出し
    忙しい日々でした。

    一切飲酒をしない母はそれは厳しく
    私たち兄妹3人を育てました。

    「水商売をしているウチの子供」
    だからこそ、規律正しく、堅実に。

    大和魂をもった堅い母。

    生真面目でストイックな母は「清貧生活」を貫き
    私も兄も妹も
    それはそれは戒律厳しく
    質素につつましやかに育てられました。
    (私だけはどうやら「反動」?が起き?)

    私は社会人になっても
    「思い出横丁」に足を踏み入れることは一切禁じられて育ちました。
    (実は内緒で行ったりしてしまいましたが・・・)

    道端で立ち話もしない母
    外食もしない母
    装飾品など身につけも持ちもしない母。

    店を手伝い
    父不在で家を切り盛り

    大変さは追って知るところ。

    そんなでしたから
    米田屋の・・・

    「米田屋」の写真が残っていない!

    思い出横丁家事

    1999年の思い出横丁大火災
    の時は
    米田屋の隣のうなぎ屋さん「カブト」まで類焼がおよんだものの

    米田屋は無事燃え残り。
    当時、思い出横丁役員だった父は
    火事場の取材でテレビ報道にもちらりと写りました。

    そんな父も寄る年波・・・

    父は2001年に店を閉じました。

    仕事をしなくなった父はみるみるうちに
    老いが進行し

    2006年の冬
    しずかに逝きました・・・



    今は無き米田屋。

    気がつけば米田屋の写真が無い!

    ネットで調べても
    2001年以前の写真など、とにかくないのです・・・

    ところが
    「思い出横丁 米田屋」で検索したところ

    一枚の絵画にたどり着きました。


    橋本礼奈
    (北海道出身の画伯)さん
    が思い出横丁の絵を2枚描いていらっしゃったのを見つけました。

    その題名もずばり「米田屋」。

    橋本礼奈画伯にコンタクトをとりました。
    ご了解をいただき、その絵をここに掲載させていただきます。


    橋本礼奈思い出横丁米田屋カラー

    最初に一瞥したとき、
    素敵な光の「写真」と見まごうほどの絶妙な光彩。

    でも、写真じゃない。

    不思議な希望の満ちたこの絵

    出会い・・・を感じました。


    あの数ある店店の中から米田屋を題材に選んでくださり

    絵として完成させてくださった橋本礼奈さんの心意気に
    涙が出るほど嬉しく。

    橋本礼奈さんの他の作品にも惹かれています。
    独特な画風で
    観る者の心を魅了する作品ばかり。


    橋本礼奈さん(画伯)の2001年の作品

    http://city.hokkai.or.jp/~reina/gallery/2001/2001.html


    橋本礼奈さんのサイトは
    http://city.hokkai.or.jp/~reina/index2.html


    橋本礼奈さんのスゴイ絵は・・・
    http://blog.goo.ne.jp/h-art_2005/e/c765cc81e3f21a940562bc072e7d58f1

    ぜひご覧ください。


    私は橋本さんとお話できる機会がいつかやってくるのを
    心待ちにすることに・・・。


    そして、この絵に出遭った翌朝
    私は辛い事実を知ることとなりました

    これは運命?

    その話はいつか話す日が来るでしょうか・・・。


    長くなりましたので
    今日はこの辺で。

    次回は
    「新宿までの青い空・・・そして見つけた父の遺品の航海スケッチ」
    (2012年1月4日のお話)



    ドラマ『ハングリー』に触発されて作った
     『アジのマリネ・ディル風味』
     『生牡蠣のバジルマリネ』ほか
    (2012年1月22日の晩御飯)

    20120122フレンチ風01

    20120122フレンチ風02

    でいきます。

    ※最後にひとつ・・・。

     「思い出横丁」の通路のコンクリート地面
     「トイレ」という文字と
     「あしあと」型のペイントがまだ残っていたら・・・

     それは昔、私が高校生のころ
     父に頼まれて描いた型紙でペイントされたものです。
     つまり、私の「作品」です・・・。

     もし、発見されたかたがいらっしゃいましたら
     ご一報ください。

    眞對れいこ
    コメント
    徹也は元気ですか。私は千歳高校、中央大サイクリング同好会の森本正昭と申します。徹に会いたいです。

    • masaoh0713
    • 2014.03.03 Monday 22:44
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